2歳差育児に疲れてしまった私。反省の先にあるもの。
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こんにちは!SANA(@Anelasana)です。
今、私の腕の中には生後1ヶ月になる可愛い息子が眠っています。
すやすやと。そしてソファには2歳になる娘がはたまた眠っています。
あぁ可愛い。あぁ幸せ。
でもね、今私は泣いています。
「幸せ」という感情の裏で「辛い」が蠢いています。表裏一体。
数分前までの地獄。怒り狂う私
おもちゃを片付けない
洋服を着ない
手間をかけて作ったご飯は拒否
でもお菓子は食べる
2人して泣き喚く
子育て中にはあるある過ぎて書くのもバカらしい日常です。
『誰か』の育児の辛さは『あー、そうだよね、大変ね』で軽く受け止められるのに、『自分』になるとそりゃあもぅ大変ですね。
朝はすっきり目覚めたはずなのに1分ごとに溜まっていくストレス。
そして午後4時過ぎ、大爆発してしまいました。
娘のアンパンマン号を床に放り投げる
ドーナツセットを床に放り投げる
娘のすがるような目を無視する。
音に驚いて泣く0歳をあやすこともせず、ソファに座ってただただぼーっとsnsを眺める私。
娘は私の顔色を見ています。
娘が産まれたとき、『優しいママでいよう』『娘がのびのびと自由に育つよう寛大なママでいよう』そう思ってた。
なのに現実は感情に任せて怒り、娘の思考を止めてしまっている。
過去の理想の私が今の最低な自分を責めてきます。
2歳差育児、想像して望んだはず
娘が生まれたとき、それはそれは可愛くて。
いとおしくて、たぶん私、娘にイラつくことはないな!なんて思ってました。
そんな中、再び妊娠できた奇跡!
二人目は男の子。
インスタでは『一姫二太郎』と、祝福され大好きな友人たちからベビーシャワーでお祝いしてもらいました。
とっても幸せ者!
もちろん妊娠中に2歳差で育児することの大変さを想像しましたよ。
でも想像以上だったんです。
寝かしつけとか大丈夫かな。
二人揃って泣いたら大変そう。
『育児』に奮闘する自分を想像しては『大丈夫!なるようになる!』と自分を鼓舞して出産に挑みました。
落ち着いて何が辛いのか考えてみた
育児って何がツラいんだろう。
そう考えたときに気づかされた記事がありました。
自分のやりたいこと、やろうとしてることをことごとく中断させられること。
それが本当にストレスだったんですね。
『朝起きて、ご飯を作る』
ルーティーンを文にしてしまうととっても簡単なことなんです。
でも、この一行をこなすためにたくさんの工程がありました。
- 朝起きて泣きだす赤ちゃんをなだめつつ、娘が寝るときに寝室に持っていくと言って聞かなかったブロックを集める。
- 片手に赤ちゃんと哺乳瓶、片手に娘の手を引いて2階にあるリビングに向かう
- すぐさま遊び始める娘の相手をしつつ、赤ちゃんのミルクを作り、パンを焼く。
- 赤ちゃんのミルクをやりたいという娘の気持ちを尊重しつつ、パンが焦げないか注意しながらヨーグルトをお皿に盛り、果物を切る。
- 赤ちゃんにミルクをやりながら娘をチェアに座らせてご飯を食べさせる。
これが延々と続くわけです。
『ご飯を作る』というやりたいことに対して『パンを焼く』だけで簡潔しないんですよね。
そんな中、自分のパーソナルな時間はどんどん削られて行きます。
『コーヒーを飲む』というやりたいことだけをやるためには沢山の工程を乗り越えなきゃならないんです。
それが実はとってもストレスなんですね。
特に私の場合、『集中してブログを書く』というやりたいことが出来ずストレスでした。
辛いからといって辞めたい訳ではない
では、自分で望んだ2歳差育児。
こんなにツラいと感じるなら『産まなきゃ良かった』のか?
それは全くもって違います。
私にとって二人がいない生活はもう考えられません。
それこそ笑うことのないサンタのようです。
(いきなりRADWINPS出してスミマセン。)
いやいや、サンタどころの騒ぎじゃない。
二人とも大好き。
ママにしてくれてありがとう。
落ち着いたあと、寝顔を見て反省しながらもこう思うんです。
反省の先にあるもの
ここまで、今日の私がいかに最低な母親かを綴りました。
自分で望んだクセに何がツラい?
無視とか母親失格かw
物に当たるなんて最低!子供可哀想。
そうですよね、わかってます。
さらに矛盾しますが、二人が大好きなことも綴らせていただきました。
実は先ほど、娘に心のそこから謝りました。
2歳の娘にどこまで伝わっているか分かりませんが、『大人として人としてやってはいけないことをしました。ごめんね、』と。
しっかり抱き締めて、目をあわせて。
『ううん、ママ怒っちゃったね、ちゃーちゃん(娘)もごめんね』
そう言って小さな手でハグをして許してもらえました。
育児=育自とはよく言ったものです。
大人になると、『素直に謝る』という簡単な事がなかなか難しくなります。
ですが、子供の前では見栄やプライドが剥がれ落ち、純粋な目を前にすると自分の欠点がよく見えてきます。
またひとつ、娘に『私』という器を育ててもらえました。
まとめ
長々と綴ってしまいましたが、『娘に許された日』を忘れたくない。
そんな思いから、ブログにおこしてみました。
数年後、私が今日を忘れないように。
あわよくばたまたま覗いてくれた誰かが『私だけじゃない』と思ってもらえたら…。
私の黒歴史を晒した甲斐もあるってもんです笑
まだまだ始まったばかりの2歳差育児!
育児しながら育自して、のんびり振り返りつつやっていきたいと思います。